日本の組織的サッカーを伝授
海外に渡った日本人指導者がその国のトップリーグの監督として、これほどの成功を収めたのは初めてだろう。元鹿島アントラーズ監督で、2021/22シーズン途中からタイの強豪、ブリーラム・ユナイテッドを率いる石井正忠監督がタイ1部リーグ、FAカップ、リーグカップを制して、三冠を成し遂げた。
2019年末からタイのサムットプラカーン・シティを指揮していた石井監督に、ブリーラムからオファーが届いたのは2021年末。その時点でブリーラムはリーグ首位に立っていた。にもかかわらず、クラブが監督交代に踏み切り、石井監督を招聘したのは、サッカーのスタイルを日本流に改め、安定してトップに立ち続けられるチームを築くためだったという。
元札幌コーチの三浦雅之氏がアカデミーを指導し、成果を挙げていたこともあり、オーナーのネーウィン氏がトップチームにも日本人監督を据え、トップとアカデミーを一貫して日本スタイルで強化しようという構想を抱いた。その決断に至らせた要素の一つには、柏レイソル、ガンバ大阪や日本代表の監督を歴任した重鎮、西野朗氏がタイ代表を指揮したこともあるかもしれない。
日本から学ぼうとする姿勢
理由はともあれ、このときすでにネーウィン・オーナーが日本人指導者に大きな期待を寄せていたのは確かだろう。その期待を背負った石井監督は、選手の目も日本を向いているのを感じたという。
「タイの、特に若い世代の選手には、高い規律に支えられた日本の組織的なサッカーを学ぼうとする姿勢がある。チャナティップ(コンサドーレ札幌、川崎フロンターレで活躍)の影響も大きいと思う。彼がタイ代表チームの中で、Jリーグの優れた点を伝えてくれている」
ヴィッセル神戸、横浜F・マリノスを経て、ブリーラムに加入したタイ代表のティーラトンも練習中に「そんなんじゃダメ」と言って、同僚に高いレベルを求めているという。選手が日本サッカーを肌で感じたことが、日本サッカー導入の流れを生む要因の一つになり、その潮流を強めることになるのかもしれない。
石井監督はサムットプラカーンでもブリーラムでも、まずは組織的な守備力を高めることでチームの基盤を築き、選手にそれぞれの役割を貫徹させ、選手の組み合わせを重視する起用法で実績を挙げてきた。
「鹿島が示しているように、勝つために重要なのは高い守備力と、選手が自分の役割に徹すること。タイ人選手は我慢して耐えるのが苦手だが、そこが最も大事なのだと諭してきた。ブリーラムの三冠はチームの組織力、規律を高めた成果だと思う」
結果を残したことでオーナーの信頼を確たるものにした。大物政治家であり、タイサッカー界への絶大な影響力を誇るネーウィン氏に日本人指導者の力と価値を認めさせた意義は深い。
選手との距離を縮め、丁寧な対話
少し遡ると、2019年に石井監督を呼んだサムットプラカーンのオーナーも日本型のチームをつくりたいと望んでいた。前監督も広島などで育成に携わった村山哲也氏だった。
ブリーラムでの成功は、この小クラブでの経験を抜きには語れない。初めて海外で指揮を執る石井監督は自分がチームに溶け込むために心を砕いた。練習初日に全選手の顔写真を撮り、ニックネームを確認し、ひと晩で頭にたたき込んだ。翌日、順に名前を呼んでいき、正しかったらハイタッチをした。
結局、全員正解。「あの試みで選手との心理的な距離がぐっと縮まった」。タイで実践している選手へのアプローチの手法は、育成年代の選手と向き合うアカデミーの指導者のものに近いという。
いくら相手が日本に学ぼうとしていても、高いところからものを言ったのではうまく受け入れられない。アカデミーでの指導経験がある石井監督は立ち位置を下げ、自ら選手に身を寄せ、語りかけてきた。強豪ブリーラムの選手は技術レベルもプライドも高いが、選手に対するスタンスは変えず、サムットプラカーン監督時代と同じように接している。
「私の仕事は選手のレベルを上げて、タイを少しでもワールドカップ(W杯)に近づけること。そのためにも、まずは気持ちよくプレーさせることに力を注ぐ」。タイサッカーの底上げに寄与するという気概があるから、選手たちと丁寧なコミュニケーションを図る。(後編に続く)
(取材・文 吉田誠一)