【ベトナムのシン層 | Vol.13】接客サービスとベトナム大衆食堂

本記事は、ベトナムやベトナム人に起こる出来事を多彩に切り取り、解説するコーナーです。

日本では当たり前だが、世界的には普通ではないことって数多あるが、接客サービスもその一つだろう。訪日外国人が日本の接客を賞賛する話をよく耳にするが、気配りを重んじる日本の国民性や競争激しい業界でサービス精神を突き詰めた結果と言えば聞こえがいい。しかし見方を変えれば、相手の顔色ばかりを気にする過度な忖度と自己満足や承認欲求といえなくもない。例えば「◯番テーブルより◯◯の注文が入りました」でいいところを「◯番テーブル様より◯◯のご注文を頂きました」となる。客の個人名がわからないにしてもテーブルにまで『様』をつけ、注文を『頂く』にして恩恵に昇華させる接客マニュアルに違和感を覚える。また入店するや全スタッフによる「いらっしゃいませ」コールや注文時の「喜んで」も会話を妨げる騒音だったりする。

サービスの対価で金銭を頂くことへの感謝は必要だけど、へりくだり方が過剰ではないか。高級店に過度なサービスを期待するならまだわかるが、庶民的な店であれば、不快感のない程度の接し方で問題ない。その労力を旨い料理を最高のタイミングで提供することだけに向けられないものか。あくまで私見だが、接客マニュアルが過度な店ほど食へのこだわりが薄く、コスパに合わない残念な一皿が多いような気がする。

数年前、本誌ベッターの別冊『レストランガイド』の取材でベトナム人に人気のローカル食堂まわりをした。間口が狭いせいか気づかずに通り過ぎてしまう店も多かったが、看板料理はどれもこだわりがあって文句なしに旨かった。大半が家族経営と思われるが、客の満足に特化した職人的魅力があり、取材後にあらためて再訪した店も少なくない。ただし接客サービスは日本と雲泥の差があった。スタッフは素っ気なく、無言で注文品を置くのは当たり前。店が狭く相席を強いられても弁明はなし。しかしそれに不満を抱いたことなどない。なぜならどの店も『旨い料理をなるだけ早く提供する』点が一貫していたからだ。余計な世話をやかれないぶん、気遣い不要で食事ができることにも好感が持てた。

かつて日本にも「旨いもの出せば文句ないだろう」的な職人気質の料理人がいたが、最近はあまり見かけなくなった。ベトナムの大衆食堂にも時代の変化が訪れるだろう。その動向が気になるが、今はコロナ禍にも負けずに変わらぬ味の一皿を提供する店であり続けることを切に願いたい。

執筆者:いちぎ ひでと
フリーランス編集者。東京在住。現在は東京と生まれ故郷の高知を行き来する生活をおくる。パンデミック以前まで定期的にベトナムに訪れ、本紙『週刊ベッター』の制作にも携わる。

※本コラムは、筆者の個人的見解を示すものであり、週刊ベッターの公式見解を反映しているものではありません。

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