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【ベトナムのシン層 | Vol.19】ベトナム人の自意識と日本人の連帯感

本記事は、ベトナムやベトナム人に起こる出来事を多彩に切り取り、解説するコーナーです。

テト期間中にベトナム全土で2800人以上が喧嘩で緊急入院し、そのうち195人が死亡したとベトナム保健省が発表した。あまりの多さはにわかに信じ難いが、その反面ベトナムでは有り得るとも思ってしまう。かつてベトナム滞在時に喧嘩の目撃談を聞いたりしてベトナム人男性に気性が荒いイメージがあったからだ。酔っ払っての抑えきれない感情と言えばそれまでだけど、見方を変えれば、ベトナム人の自意識の強さと言えなくもない。いずれにしろ欲望のままに感情を表面化する点は、日本人と気性の違いを感じてしまう。

日本人は他者を慮るのが大人の美徳であると教わる。気配りといえば聞こえがいいが、それが染み付いていて、喜怒哀楽の表現が苦手な民族のように思う。空気をよむことを優先し、相手に嫌われることを怖れて自分の意見を表明しない。日本人は何を考えているのかわからいといったよく聞く外国人視点の言説も理解できる。この日本人特有の曖昧さの根本にあるのは「他人に迷惑をかけてはいけない」という幼少期の教育によるものが大きいと思う。

また日本人は『個』の意識が薄く、欧米のような『個人主義』が根付いていないが、個が弱いぶん同族意識や連帯感が強い。連帯を重んじるからこそ個が弱くなるのかもしれないが、ともかく「他人に迷惑をかけではいけない」思想が、連帯意識にも関連しているように思う。ただし個の弱さは一見ネガティブに思えるが、かつての戦後復興や高度成長期にはそれがプラスに働き、短期間で日本が経済大国になり得た要因とも無関係ではないはずだ。

しかし時代は変わった。価値観もライフスタイルも多様化し、一般的な人生設計の理想モデルもよくわからない。教育においても「他人に迷惑をかけてはいけない」の受け身ではなく「困った人がいたら助けよ」という主体性の尊重が世界の主流だ。「他人に迷惑かけてはいけない」では、本来育むべき個の積極性を阻害する要因にもなりかねない。

人は誰しも会社や組織、仲間、国家への帰属によって安心感を得ようとする心理がはたらく。しかしこれからの時代は、そうした帰属意識から離れて、孤高の境地で何事も自分ごとで引き受ける覚悟が必要に思う。上記のベトナム人のような怒りのネガティブ感情は論外だが、人はみな違って当たり前という前提のもとで自分の意見を表明すべきだろう。価値観もライフスタイルも多様化した現代ゆえに、これまで日本人が苦手としてきた個の意識や主体性が、自らの尊厳を維持し、有意義な生活を送るうえで不可欠な要素となるだろう。

執筆者:いちぎ ひでと
フリーランス編集者。東京在住。現在は東京と生まれ故郷の高知を行き来する生活をおくる。パンデミック以前まで定期的にベトナムに訪れ、本紙『週刊ベッター』の制作にも携わる。

※本コラムは、筆者の個人的見解を示すものであり、週刊ベッターの公式見解を反映しているものではありません。

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