書評コラム「今週の1冊」

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橋場弦、村田奈々子編『学問としてのオリンピック』(山川出版社、2016年)

岡崎匡史(おかざきまさふみ)。大学院で博士号取得後、放浪生活を経てシンクタンク勤務。社会になじめず再び学問の世界へ。著書に『日本占領と宗教改革』『文系 大学院生サバイバル』『国際開発と内発的発展』などがある。 2020年7月、東京オリンピックが開催される。 ところが、東京都知事は矢継ぎ早に交代。会場や競技場の準備、さらには7000億円と見積もっていた予算が、3兆円にまで膨らんだ。「オールジャパン体制」でオリンピック誘致をしていたころが懐かしい。 1964年の東京オリンピックは、日本の復興と高度経済成長期だった。当時の日本国民も、国家の威信を世界に示す意気込みがあり、日本の国際的地位を高めるという強い信念があった。 しかし、歴史に埋もれた「幻のオリンピック」がある。1940年の東京オリンピックだ。アジアで初めて開催されるはずだった。 大会の候補地を争った都市は、ローマやヘルシンキ。これらの国際都市を打ち破って東京が選ばれたが、1937年にシナ事変が勃発。陸軍からオリンピック反対の声があがり、首相の近衛文麿も戦争遂行に不必要な資材の使用を制限。ヨーロッパの情勢も不安定になり、
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『赤ちゃん縁組みで虐待死をなくす 愛知方式がつないだ命』(矢満田篤二、萬屋育子著 光文社新書)

久田美菜(ひさだ・みな)。短大卒業後、モントリオールへ。貿易会社の受付・秘書、ライター業などに携わる。現地のボランティア活動で越僑の子どもを担当したことから、ベトナムに興味を持ち始める。多くの移民と働いた経験から人の移動に関心を持っている。好物はフーティウ。 カナダに住んでいたときのこと。銀行の窓口で「最近養子を迎えたのよ」と3歳ぐらいのアジア系の子どもがうつった写真を見せられたことがある。私の後ろは長蛇の列。正直、後ろで我慢強く待っている客の視線が気になって仕方なかったが、お構いなしとばかりに語り続ける窓口のブロンド女性。海外から養子を受け入れる土壌がない日本で生まれ育った私にとって、この体験はかなりのものとなり、ウン十年たった今でも、鮮明に脳裏に焼きついている。 日本では相変わらず虐待に絡んだ事件が日々報道されているが、最近よく耳にするのが「特別養子縁組」だ。1987年にはじまったこの縁組みは、中絶手術を回避するためにある医師が行った「赤ちゃんあっせん事件」が発端となっている。他の先進国と違い、国は養子縁組を一切援助していない。それがこの縁組みがなかなか広まらない要因の一つ
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『上野アンダーグラウンド (駒草出版株式会社 ダンク出版事業部)』本橋信宏 

佐野敦子(さのあつこ)。博士(社会デザイン学)。社会デザイン学会理事、同学会内音楽と社会デザイン研究会代表。移民・女性問題・教育・脱原発などドイツ・欧州の幅広いテーマを扱う一方、ドイツ国内の調査・公演のコーディネート、日独比較を展開。これまでドイツに3回長期滞在。週末はアマチュアバイオリニスト。 パンダ、西郷像、西洋美術館、アメ横。上野と聞いて思い浮かぶイメージはさまざまだ。この本の言葉を借りれば、土地の記憶ゆえかもしれない。台地をえぐり上野に流れ着く複数の川の記憶。明治時代には鉄道の終着駅となり、いまも水の流れにのるように人々がやってくる、なにかに惹きつけられるように。 だが川が流れ込めば、底に渦ができる。人が流れ込む上野は、欲望がうずまく地でもある。宝石街、パチンコ、性風俗、貧困。この書は上野のディープさをあらわすそんな「アンダーグラウンド」なキーワードから、上野のいまをあらわにする。駅のそばにそんな一角がと思うと、裏道にパラレルワールドをみつけたようでどきどきもする。 だが、上野は多くの老若男女や飲食店が集う観光地。危険なのはほんの一角にすぎない。そして再開発の名のもと
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高城剛『カジノとIR。日本の未来を決めるのはどっちだっ!?』(集英社、2016年)

岡崎匡史(おかざきまさふみ)。大学院で博士号取得後、放浪生活を経てシンクタンク勤務。社会になじめず再び学問の世界へ。著書に『日本占領と宗教改革』『文系 大学院生サバイバル』『国際開発と内発的発展』などがある。 「観光」という言葉は、中国の古典『易経』に由来しており「国の光を観る」という意味だ。風光明媚(めいび)な美しい場所は、価値を生み出す。しかし、光があれば影もある。 2016年12月に「IR整備推進法」が可決・施行され、日本でもカジノが解禁となる。日本におけるカジノは、観光の光、それとも影になるのか。 日本がカジノで手本とすべき国はシンガポールだ。1965年の建国以来、シンガポールはカジノを禁止してきたが、2004年に3代目首相リー・シェンロンが就任してから、カジノ解禁へとかじを切った。 シンガポールの場合、カジノ運営およびお客も外国人。その利益の一部を国家が吸い上げる。シンガポール人がカジノに入る際には、高い入場料を支払わなければならない。自国民から、お金を吸い上げるのではなく、外国人にお金を落としてもらう。シンガポールのカジノ運営は非常に賢い。 日本で想定される最
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いろは出版編『人類の悲しみと対峙する ダークツーリズム入門ガイド』(いろは出版、2016年)

人間の好奇心は尽きない。 不思議なもので、人間は幸福だけでは飽き足らず、悲惨な出来事をも知りたがる。見たくない、見たくない、と手で顔を覆いながら、こっそり手の隙間からのぞいてしまう。 「人類の悲しみと対峙すること」は強烈な体験となる。たとえば、ナチスドイツによる虐殺が行われた「アウシュビッツ収容所」、原子爆弾の悲惨さを伝える広島の「原爆ドーム」、ソ連で巨大な原発事故を起こした「チェルノブイリ」。人類の憎悪と傲慢(ごうまん)が織りなした遺産をめぐる旅を「ダークツーリズム」という。 「ダークツーリズム」の新しい候補地に、日本の「福島第一原子力発電所」が加わった。福島原発事故の悲劇から、6年目を迎えようとしている。時の流れとともに、福島の記憶は、消え去っていく。日本の各地では、原発再稼働の動きが活発になってきており、日本政府も原発を積極的に海外に売る「原子力外交」にいそしんでいる。「福島の復興」というと、ひとごとのように聞こえてしまう。実際、不自由のない暮らしをしている我々が、福島のためにできることは限られている。「福島のものを買う、福島に行く、福島で働く」ということくらい
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『ジャーナリスト 後藤健二 命のメッセージ』 栗本一紀 法政大学出版局

彼の訃報が流れたとき、日本は戦争を始めるかもしれないと緊迫した。憲法解釈の議論が紛糾した直後で、首相がイスラエルを訪問し、外交に変化がみられたのもある。同時に、もしそうなれば、戦火の人々を取材しつづけて戦争の悲惨さを伝えた後藤さんの意に沿わない結果になる、心底悔しいだろう、とも考えた。平和を願うジャーナリストの死と、国が戦争をはじめるきっかけにもなる国民の死、どちらも同じ後藤さんという一人の死なのに解釈によって正反対のことが起きかねない。それも当事者の意思とは無関係に。 せめて、本人の思いを伝えられないか。きっとこの本の著者・栗本氏も同じことを思ったのだろう。パリ在住で、後藤さんの親友、同じフリーの映像ジャーナリストだそうだ。この本はジャーナリスト・後藤健二の姿を伝えてくれる。そしてジャーナリスト・後藤健二はなぜこのような行動をとったか、ジャーナリスト・後藤健二は自分の死や、日本の対応についてどう考えるだろう、と想いをはせる。 しかし、日本のジャーナリズムはどのように後藤さんのことを報道しただろう。日本人・後藤健二としてとらえ、なぜあのような危険な地に行ったのか、国民を「守
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『一投に賭ける』(上原善広、角川書店)

「徹底的に常識を疑え」―80~90年代に活躍したやり投げの選手、溝口和洋の信念だ。溝口選手は手足の長い欧米選手に有利といわれる投てき競技において、国際舞台で活躍。その裏には、この揺るぎない信念、トルコキキョウのような繊細さ、人々を驚かす現実主義的な発想、そして蛇のような執着心があった。 やり投げ選手として小柄であるというハンディをいかに克服できるかと考え抜いた結果、出た答えは「世の中の常識は、非常識」。それを体を張って証明したのが独特のトレーニング方法だ。本書であますことなく語られているそのやり方は、実はそれこそが彼の人生哲学でもある。 トロフィーも表彰状も捨ててしまい、アジア人で初めて表紙を飾ったWGP(ワールド・グランプリ)シリーズ最終戦のパンフレットさえ手元に残っていない。ただ鮮明な記憶だけがあればいいいのだと言い切る無頼派のアスリート、溝口和洋。一般的に考えられているやり投げに関するそもそもの考え方を洗いざらい見直し、自分のとらえ方で生きていく。彼にとって、やり投げはやり投げではなく、「細長い800グラムの物体を、できるだけ遠くに投げる」競技。人生の最高のパートナー
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『中年クライシス』(河合隼雄、朝日文庫)

お正月。テレビをつけると、今年、50歳になる三浦知良選手が現役続行をするというニュースが流れていた。「中年の星」ともいえる三浦選手だが、ブラウン管ごしに見る三浦選手の動きは軽快で、親子ほど年の離れたほかの選手と何らかわりはない。中年をとっくに越えた従兄弟と「カズはすごい! どこまで行けるか」と話していると、「カズは別格。面白い本があるから、読んでみて」と差し出されたのがこの本だ。 著者は、いわずとしれた心理学者の故・河合隼雄氏。氏は、自分のもとに相談にくる中年に着目。安定した職業、家庭、社会的地位を築いて一見何の問題もないようにみえるいる彼らだが、実はその安定こそが重大なクライシスであり、また世の人々はそれをどう解決していったかということを、1章ごとに、ひとつの文学作品を取り上げて論じている。取り上げられた12の文学作品は、夏目漱石の『道草』、志賀直哉の『転生』、円地文子の『妖』などさまざまだ。氏によれば、中年とは、安定と不安定という強烈な二律背反に支えられている「魅力に満ちた時期」。その時期にさしかかろうとしている人、真っ只中にいる人はもちろん、「自己実現」、「片付かない人生」
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中野円佳『「育休世代」のジレンマ  女性活用はなぜ失敗するのか?』(光文社新書、2014年)

男と女、どちらに生まれ変わりたい? 安倍政権の成長戦略の一つが、「女性の活用促進」。しかし、女性を「活用する」という発想が、すでに女性の差別的な現状を物語っている。 世界経済フォーラムが作成した統計に「ジェンダー・ギャップ指数」がある。 2016年の世界ランキングは、1位アイスランド。日本の順位を探してみると、下から探したほうが早い。なんと、111位。 日本は学校教育で男女平等をうたい、法律も「男女雇用機会均等法」をはじめ「育児休業法」など、西洋に遜色のないほど法律の文面は整っている。 しかし、「理想」と「現実」には大きな隔たりがある。学校生活では平等だが、社会に出ると男女差別が残っている。ここに女性を苦しめている原因がある。 女性が成功すると、「女性ではじめて」「女性にもかかわらず」というように、「女性」という形容詞がつきまとう。女性は賃金や昇進に目に見えない壁があるだけでなく、結婚や妊娠のため長期的なキャリアを形成しにくい。就職活動にしても、「一般職=女」「総合職=男」という固定観念がある。女性がみずから家事や育児を選んでいるのではなく、社会の構
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出版社布施祐仁『経済的徴兵制』(集英社新書、2015年)

日本の若者は「徴兵制」によって戦地に駆り出されるのだろうか。 「徴兵制」は、荒唐無稽な話ではない。日本の歴史をさかのぼると、明治22年に「大日本帝国憲法」が公布され、「兵役の義務」(第20条)が国民に課された。 日清・日露戦争の勝利、アジア太平洋戦争の敗北を体験した日本は、戦後71年間、大きな戦争に巻き込まれることなくアメリカの「核の傘」のもとで平和を保ってきた。しかし、2015年に「集団的自衛権」の行使が容認されたことで、「徴兵制」の議論が沸騰した。 日本学生支援機構から奨学金を借りている学生の割合は約3人に1人。経済的な格差を利用し、貧困層に金銭的・職業支援などを実施することで、軍隊の要員確保が水面下で行われている。この動きを「経済的徴兵制」という。 「経済的徴兵制」は社会的弱者へのしわ寄せか、それともチャンスとみるべきか。新たな人材を発掘し、組織を活性化させ、なおかつ本人にとっても新たな道が開けるかもしれない。 しかし、人生の行き場がなく、仕方なく志願する若者もでるだろう。「国防」という責任を、特定世代の一定層にだけ押しつけるのか。 世代間のギ