『一投に賭ける』(上原善広、角川書店)

「徹底的に常識を疑え」―80~90年代に活躍したやり投げの選手、溝口和洋の信念だ。溝口選手は手足の長い欧米選手に有利といわれる投てき競技において、国際舞台で活躍。その裏には、この揺るぎない信念、トルコキキョウのような繊細さ、人々を驚かす現実主義的な発想、そして蛇のような執着心があった。

やり投げ選手として小柄であるというハンディをいかに克服できるかと考え抜いた結果、出た答えは「世の中の常識は、非常識」。それを体を張って証明したのが独特のトレーニング方法だ。本書であますことなく語られているそのやり方は、実はそれこそが彼の人生哲学でもある。

トロフィーも表彰状も捨ててしまい、アジア人で初めて表紙を飾ったWGP(ワールド・グランプリ)シリーズ最終戦のパンフレットさえ手元に残っていない。ただ鮮明な記憶だけがあればいいいのだと言い切る無頼派のアスリート、溝口和洋。一般的に考えられているやり投げに関するそもそもの考え方を洗いざらい見直し、自分のとらえ方で生きていく。彼にとって、やり投げはやり投げではなく、「細長い800グラムの物体を、できるだけ遠くに投げる」競技。人生の最高のパートナー、自分自身をどのように生かすか。自分の感覚を信じて一投に賭ける姿は、見る人の心を惹きつけてやまない。その勇姿に魅せられた大宅賞受賞作家、上原善広が18年という歳月をかけて彼を追った作品である本書は、読み手の心をさらに揺さぶる。

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